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谷口千秋(チアキ)として生まれて・谷口陽堂(キヨタカ)へ名を変えたわけとは

人生はドラマです

昭和21年11月18日、母である谷口緑先生の長男として生まれる。
母である谷口緑先生が千秋と名を付けてくれた。

その時母である谷口緑先生は20歳で結婚して21歳の出産でした、既に母は緑洋裁研究所を開校していた。

父母の結婚記念写真は佐嘉神社でした。父は軍服のままでした。



父とのツーショット

21歳の母である谷口緑先生です。とても若いですネ✟❤✟*
仕事と母親の両立は、若い21歳は凄く大変でしたネ☆彡


父は忙しい私学経営の合間に母と私を唐津の海に連れて行ってくれたショットです。

自己紹介

プロフィールを開いて頂き感謝します。
LinkedIn(リンクドイン)からの引用で御紹介します。

2020年4月に佐賀デザイナークラブ協会 会長に就任しました。
佐賀デザイナークラブ協会主催で2022年7月13日㈬~18日㈪
佐賀県立美術館で『谷口 緑 Last Exhibition』展示会を開催しました

⏩少し長いのでお時間のある時に
下記はお読み頂けたら幸いです🌹

では、始めます
▷若き日・1968年工学院大学大学院 建築学科で都市計画を学んでいる院生二年の夏休みに建築での今後の進路を迷っていた時、母の薦めでNDC(日本デザイナークラブ)のコンテストに応募した。デザイン画を教えて欲しいと母である谷口緑先生に言ったら「緑ドレスメーカー服飾専門学校・図書室にデザイン画の描き方があるので一人で頑張って提出しなさい」とのアドバイスでした。

▶日本デザイナークラブ(NDC)のファッションコンテストにデザイン画&実物制作を通していきなりNO1のNDC賞を受賞した。その後、最高賞・NDC賞を連続2回受賞した。奇跡です・感謝です。



▶1969年・NY州立FIT大学での立体裁断特別講習を受ける為、NYに渡米、当時の日本では、既製服がなく、つるし・イージーオーダーが全盛であった、日本でもファッションが産業になることをNYで自覚した。それは、建築の世界とファッションの世界を天秤にかけた自分が居た。

▶杉野芳子先生(杉野学園創立者)のお誘いで、9月から昼は大学院で学び、その後、杉野ドレスメーカー女学院の夜間部で、ただ一人の男性であった。翌年4月から昼間の産業科に2年次に編入、デザイナー科に進学して、全国洋裁コンテストで1席の総理大臣賞(田中角栄氏)を受賞する。また、奇跡が起きました。

▶杉野芳子先生の推薦で、1973年東レ株式会社へデザイナーとして入社が出来ました。奇跡ですネ。
▶東レ・インターモードの設立に参画して、1973年8月にオリジナルブランド・サスキア・デビューショーをホテルオークラで開催した。専門学校を卒業した年にデビューショーとは奇跡としか言いようがない。

▶その後、初代の企画室長として、朝日新聞・家庭欄に、オリジナルブランド・SASKIAを1982年3月~1983年5月、1年2ヶ月の長期執筆をした。

▶それが株式会社ワールドの創業者の眼に留まり、1983年にヘッドハンドして頂き転職した。入社3年目でカンタソワ事業部を設立し、事業部長と同ブランドのクリエーティブディレクターを兼務した。

▶1995年・阪神・淡路大震災を岡本で罹災・息子の本山中学校舎も全壊した。転校を余儀なくされて佐賀へ疎開して、20年間のサラリーマンライフを卒業した。これは、凡を捨てた事により新しい自分に出会えました。

▶第二の人生として、名前も千秋(チアキ)から陽堂(キヨタカ)へ改名して、株式会社グローバルスコープを設立、オリジナルブランドMIASTRADA(ミーアストラーダ)を立ち上げて、企画・製造をして、アパレルとして全国の高級専門店に卸した。

▶2003年弊社ブランドMIASTRADA(ミーアストラーダ)を何と(株)ワールドが販社となり、全国のワールド専門店にて販売をして頂いた。これは奇跡ですヨネ🎀

▶2005年、株式会社ワールドの高級ブランド・オーセンティックと弊社のミーアストラーダとの協業でAJUDA(アジューダ)ブランドの創立に参画しクリエーティブディレクターとして、日本の全国優良専門店で展開して頂いた。

▶このあとも素敵な奇跡が起きた🎀
株式会社ワールドのメガブランド「コルディア」を、中国国内で現地企画・現地製造・現地販売する「コルディア・クリスタル」をクリエーティブディレクターとして、ネーミング&ロゴ作成から商品企画&店舗展開まで携わった。

▶その結果、国内4ブランド海外1ブランドを世に送り出した。

▶2013年クリスチャンとなり、ファッション業界での第一線の仕事を卒業しました。
▶3年間の「みことば」の学びを通して、【父母は敬え】のみことばにしたがつて、2016年に第三の人生として、母の介護支援の為に故郷・佐賀へ戻ってきました。

▶純粋に母の会議支援の為に、帰郷したのに、2018年4月、母の強い希望で緑ドレメ服飾専門学校の理事長に就任しました。両親が設立した専門学校は、時代の流れに乗らず、ガラパゴスでした。

▶それで、94歳の母=谷口 緑校長・緑ドレスメーカー服飾専門学校の創立75周年記念事業として、2019年7月・佐賀県立美術館2号展示室にて『谷口 緑 戦後の服装史を紡ぐ』の展示会の開催をして、母の希望に答えました🎀

▶4日間の開催にも関わらず、1081名の来館でした(大人870名・学生211名)感謝です♪。

最後まで読んで頂き、感謝です。

〓追申です〓

❶令和年2年2月15日㈯12時~13時30分
『谷口 緑 戦後の服装史を紡ぐ』報告会
『谷口 緑先生 95歳を祝う会』開催しました。

❷谷口緑校長は、この会をもって緑ドレスメーカー服飾専門学校を廃止して引退しました。75年間の御支援に感謝します。

➌谷口緑先生、3/10(大安)特別養護老人ホーム春庵に入所致しました。
佐賀デザイナークラブ協会の顧問に就任しました。

➍谷口緑先生の後を受継ぎ、2020年4月佐賀デザイナー協会 会長に就任しました。

❺2022年7月13日㈬~18日㈪『谷口 緑 Last Exhibition』展示会・佐賀県立美術館2号展示室で開催しました。

➏2022年10月1日㈰佐賀市文化連盟50周年記念・公演展示会に『谷口 緑 Last Exhibition』の代表作品・Aグループの『敦煌』とBグループ『蘭亭』と展示パネルは総て飾り付けをしました。この記念公演展示に参加してお蔭で父である谷口薫元理事長が発起人代表であったことが判明してパネルに追加掲示しました。お声がけして頂いた山田事務局長に感謝します。



▶小職のSNS活動は下記の通りです。

https://www.facebook.com/kiyotaka.taniguchi
https://www.instagram.com/kiyotaka_1991/
https://www.linkedin.com/in/kiyotaka1991/
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